00/12/24
「あぶコン」ってなんだろう?
「あぶコン」の正式名称は「あぶれ者コンパ」である。そしてコンパの語源は「Company」で
ある。辞書で調べると『元来はラテン語で「パンを共にする仲間」の意』とある。つまりは仲間という
ことだ。日本語で言うならば「同じ釜の飯を食う」とかそんなものに当たると思われる。
「仲間」という意味から、「仲間が集まって楽しむ場」という意味のコンパという言葉が生まれたの
であろう。家にあった結構古い辞書にも「コンパ」は載っていたので、我々が思っている以上に古くか
らある言葉なのだ。「コンパ」と言う言葉がいつどのように生まれて、生まれた当時のコンパがどのよ
うな様子だったかは、時間がなくて調べていないが、今日の形とは違ったものであったと想像する。そ
れにしても「Company」から「コンパ」という言葉を造った人はなかなか良いセンスをしている。
では現在の「コンパ」はどのようなものであろう。私はこの文章を書くまで「合コン」と「コンパ」
という言葉の区別を意識してなかった。「コンパ」=「合コン」という図式が頭の中に出来ていた。「合
コン」とは「合同コンパ」の略であり、違う組織なりの仲間が一同に会し行われる親睦会のようなもの
である。
では「合コン」はどのようなものであろう。私は「女目当ての男と男目当ての女が集まる、なんとも
淫猥なイベント」というイメージがある。そこでは「王様ゲーム」や「ポッキーゲーム」などの「下心」
前提とした魅惑的な遊びが繰り広げられる。携帯電話がこれだけ普及したので、「番号交換」、「メールア
ドレス交換」なども日常茶飯事であろう。そして、気の合った男女は夜の街に消えていくのだろう。
今夜は「聖なる夜」ではなくて実際は「性なる夜」なのであろう。アルコールは適度な開放感を与え
てくれる。サンタさんも赤い顔をもっと赤くしているだろう。おっと、いけないこの文章ちょっと下衆
い。とにかく「コンパ」、「合コン」には淫猥なイメージが付きまとっていると思われる。
それでは「あぶコン」とはなんだろう?意味は当然、「あぶれ者たちのコンパ」なのだが、その存在
はなんなのであろう?去年、私が主催した「あぶコン1999」は別名「野良犬コンパ」であった。鎖につ
ながれず、自由の象徴として「野良犬」を持ってきた。当時のBOXノートを見ると、僕の名前が「野
良犬」と表記されている書き込みが残っているはずである。
またパンフには「警察や病院のように必要なもの」と表記した。が、1年経って、私の「あぶコン観」
も少々変わった。では、今年の「あぶコン」、「あぶコン2000」とは何なのだろうか?
そもそも「あぶれ者」とは何なのであろう。端的に言えば「恋人のいない人」である。また同義語と
して「ばら肉」、「単品」などがある。「単品」とは「定食」に対しての言葉で一人ということである。
なお、私は全て言われた事がある。「あぶれ者」とは正確には「あぶれてしまった者」であり、「自分か
らあぶれようとする者」、「あぶれないようにしない者」、つまり恋人をつくる意思のない者は「あぶれ
者」ではない。そういう意味では私は「究極のあぶれ者」である。今年は「主催者」ではなく「王」と
名乗っているのはそのためである。
「あぶコン」とは「あぶれてしまった者」の集まりであり、その対象として「あぶれなかった者」、
つまり恋人のいる者を考えると、それはたちまち「悲しい集まり」になってしまう。昨年の「あぶコン
1999」はハッキリ言って、そんな集まりだった。でも今年は私が成長したのもあるが、そのような集ま
りにはしたくない。もっと前向きな集まりにしたい。先に挙げた「合コン」のような淫猥な集まりにも
するつもりはないが、楽しい集まりにしよう。
さて最後に今年の別名、もしくはサブタイトルだがなかなか良いものが思いついた。「あぶれ者」は
可能性を持っている。それは恋人が出来る可能性だ。我々はその可能性を持っている。今年の別名は可
能性に賭け、進みつづける者、開拓者からとり「開拓者コンパ」と名付けることにした。
鍋を食べてスタミナをつけ、21世紀というフロンティアに備えよう。
あぶコン王・本名
20歳の時点でここまで、こじれているとは・・・。
私が所属した学生劇団には、クリスマスに、恋人のいない劇団員で飲み会をする風習があったのですが、それが「あぶコン」です。
その前後に書いていた文章なのですが・・・これ、印刷して、配布したりしたのかな・・・。
約12年前に戻って、沢山、殴ってやりたい。どんだけ、こじらせているのだ・・・。俺は・・・。